中邑真輔を暖かく送り出す空気に感じるある種の怖さ

新日本プロレスから中邑真輔が出て行った。
そして世界最高峰のWWEに移籍する。
新日本プロレス所属としての最後の試合、中邑は選手やファン皆から祝福され、感動に包まれながら送り出された。
プロレス情報サイトやTwitterでもファンのほとんどが温かくそれを受け止めていた。
新日本の選手もほとんどが「頑張れ!」「あとは任せておけ」というニュアンスのコメントが続く。
しかし唯一と言っていいくらい、的を得た厳しいコメントを発する者がいた。
内藤哲也である。
中邑の退団が発表されたあと、内藤は「新日本を捨てたようなもん」と吐き捨て、壮行試合のあとには「WWEに行くことがそんなに誇らしいことなのか」と疑問を投げかけた。
ここ最近の内藤哲也の確変ぶりには目を見張るものがあるが、正統派から一気に「格好良いヒール」になった今回の彼の言葉は、プロレスとしてのアングルもあるだろうが、とても率直で全うな意見だった。
彼の発言に対して「お前が言うな」「試合内容が伴っていないくせに」というファンの反応も散見されたが、現在のWWEの攻撃的な姿勢にはもっと緊迫感を持つべきである。
はっきり言って甘い!
この一言に尽きる。
それほどに今のWWEは怖い。

WWEは90年代に勃発したWCW(NWA)とのレスリングウォーを制し、アメリカマット界を制圧した後、2000年代に入り何度も日本に侵略をかけてきた。
この頃の日本はPRIDEをはじめとする総合格闘技が席巻し、プロレスは暗黒時代と言われた。
そこへWWEは単独公演を日本で行ない「黒船上陸」と騒がれ、テレビ東京で「地上波放送」も始まった。
しかし、この侵略は結果として成功しなかった。
他国ではどんどん侵略が進んでいくものの、日本では狙っていたような成果があげられなかった。
これは個人的感想もあるが、独特のプロレス文化を育んできた日本のプロレスファンには、ショーとしてアッケラカンとしたWWEのスタイルはすぐに馴染めるものではなかった。

日本には独自のプロレス文化・歴史がある。
古くはジャイアント馬場アントニオ猪木という二大巨頭がおり、そこから鶴田・天龍・長州・藤波が歴史を紡いだ。
また前田日明や佐山タイガーが海外にはない全く新しいプロレスのスタイルを提示した。
それら日本独自のプロレス文化は形を変えながらも蝶野・武藤・橋本の闘魂三銃士や三沢・小橋・田上・川田の全日四天王が受け継ぎ、日本のプロレスは見事発展を遂げた。

日本のプロレスはとにかく奥が深い。
そして何よりも熱い。
ガッチリとできあがった土壌は、そうそうアメリカが簡単にさらいあげられるようなヤワなものではなかった。

しかし、近年WWEはその侵略スタイルを変化させてきた。
ひとつは、日本で興行を成功させるのではなく、「権利」の掌握である。
WWEの幹部は力道山国際プロレスの映像権を日本テレビが握っていることを把握しており、それを欲しがっているという。
ネット全盛のこの時代、世界中どこにいてもプロレス観戦が可能であり、世界のプロレスファンは過去のマニアックな試合を何度も閲覧する。
独自に花開いた日本のプロレスは世界中のプロレスファンにとって「知る人ぞ知る」お宝映像の宝庫でもある。
日本で興行を成功させるよりも、コンテンツの権利を取得し、過去の映像を売るほうがよほど儲かるのである。
(ちなみにPRIDEの映像権も現在は当時のライバルであったUFCが手中に収めている。)
このことを考えると、WWEが独自にジャイアント馬場の肖像権を持つ馬場元子やアントニオ猪木、その他日本のプロレスの歴史に関わってきた重要人物達にも直接接触を持ったであろうことは想像に難しくない。
話が逸れるので割愛するが、流通の活性化と権利の掌握は欧米人が得意とする戦略の基本である。

もうひとつはNXTという新しいWWEブランドの設立である。
2012年に設立され実質トリプルHことポール・レベック氏が取り仕切っている。
NXTはショーアップされたWWEのそれとは異なり、試合内容で魅せるのが売りである。
これは日本のプロレスとかなり近しいものがあり、実際にノアのKENTA(ヒデオ・イタミ)や「女子プロレス界の異端児」華名(ASUKA)、そして新日本でヤングライオンから修行をしたプリンス・デヴィット(フィン・ベイラー)が活躍している。
そして新日本を退団した中邑真輔もこのNXTからWWEキャリアをスタートさせることが発表されている。
日本の選手を直接WWEのリングに上げてきた90年代、2000年代と異なり、日本のスタイルに近いNXTに日本のスター選手を引っこ抜くという新しい手法である。
また、NXTはWWEのファーム団体であることも重要で、これは間接的に「日本のプロレスはWWEの2軍」という格付けにもつながる。

今、プロレス以外の世界のビジネスシーンを見渡すと、アメリカの企業が「巨人」として次々と世界を飲み込んできている。
マイクロソフト、グーグル、アップル、アマゾン。
WWEもまたそんな企業と同じように世界を飲み込もうとしている。

もし日本のプロレスファンが、日本のプロレス団体よりもWWEを取るというのならそれでいい。
新日本プロレスWWEの二軍でいいというのならそれでいい。
しかし、もしそれが嫌だというのなら、プロレスファンはもっと危機感を持ったほうが良い。
新日本プロレスのオーナー木谷社長は「新日本プロレスを世界一のプロレスリングカンパニーにする」と宣言している。
実際、今の新日本プロレスはその規模の差はあれどWWEに次ぐ2番目の規模を誇ると言われている。
新日本プロレスのファンは今、日本だけでなく世界中に居る。
そして彼らは北米ppvやケーブルテレビで新日本プロレスを観戦し、SNSを通じてファン同士で繋がっている。

内藤哲也は1.30後楽園ホールにおける中邑真輔壮行試合のあと、コメントでこう言っている。

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「中邑が海外の某団体に行くことが、そんなにオメデタイことかよ?」
「この団体は、世界一のプロレス団体を目指してるんじゃないのか?」
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私も、中邑真輔に「頑張れ」とその成功を願っている。
しかし今、日本のプロレス界が置かれた立場は、そう呑気なことを言ってられる状況ではない。