失敗者から学んだ方が有益である

世の中には成功者が書いた、「どうすれば成功するか」のノウハウがギッシリ詰まった書籍で溢れている。

 

最近では葉に絹着せぬ物言いで炎上を演出し、それで注目を集めてビューと知名度を上げる「成功者」も多い。

 

僕はいつも思うけど、そもそも書籍を含むメディアで「イイコト」をいう奴は、金儲けが上手いのであって、中身が伴っているわけではない、といつも思っている。

 

乱暴なことを言うなら、「合法的な詐欺師」でしかない。

 

だから、彼らの言う「イイコト」は素晴らしい言葉として受容して、自分の生活にも身になるものは活かす反面、「所詮言葉が素晴らしいのであって、その発信者が素晴らしいわけではない」と理解している。

 

だからその発信者に溺れることはない。

 

そして大切なことは「そんな成功者の言葉は所詮ホンモノでないこと」も知っている。

 

つまり、成功者の「良い言葉」は有益ではあるけど、それほど直接的に自分の血肉にはならない。

 

そもそも人は、成功している人間や上手くいっている者から学ぼうとする。

 

子供の頃から歴史上の「成功した」人物の伝記を読んで「素晴らしい!凄い!」と感動し、そこからその生き方を学ぶのが良いかのように教えられる。

 

だから子供にとっては残虐無慈悲な殺戮者コロンブスも英雄だったりする。

 

けれど、本当にそうなんだろうか。

 

僕はダメな人間、失敗している人間から学ぶことの方がとても有益で効率的な気がしてならない。

 

僕もそれなりに歳を重ねてきていろいろな人を見てきたけれど、成功している方々にもいろいろで、生活も性格も仕事の仕方も千差万別。

 

そりゃあ共通項もあって、大体がメールの返信が早いとか決断が早いとか、そういうのはあると思う。

 

でも本当に、成功者の共通項なんてあと数箇所あればいいぐらいじゃないだろうか。

 

成功者の共通項目についてはこの文中では主題が違うのでこれくらいにするけれど、僕が言いたいのは「成功者にもいろいろ」ということだ。

 

じゃあ逆に「失敗者」はどうなんだろう、と考えてみると、これが面白いことに、失敗する人には共通項目が多い。

 

そして何よりも、失敗した人の「失敗した理由」客観的に見た時、はいつもある程度明瞭だ。

 

いや、明瞭じゃなくとも「失敗」はロジカルにその理由を探求できる。

 

これ、「成功の理由」を解き明かすよりずっとハッキリクッキリと明らかにしやすい。

 

道で石ころにつまづいたのは下を向いていなかったからで、

下を向いていなかったのは前からくる車に気を取られたからで、

そもそも歩道より少し車道よりに歩いていたからで、

なぜならそれは細い車道を友人と横並びに歩いていたから。

 

などというように、

それが正解かは別にして、答えの可能性に近づけていくことは可能だ。

 

そして更に重要なのは、成功者を探すより、成功していない人を探すことの方が容易だと言うことだ。

 

部長になりたいのに課長で留まってる人にはやっぱり理由がある。

人に嫌われる人にはやっぱり理由がある。

仕事が遅い人にはやっぱり理由がある。

勉強ができない人にはやっぱり理由がある。

 

それらを冷静に見つめて自分を見返すほうがよほど有益なように感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強を効率的に行う秘訣

社会人になった今も、僕が勉強をしようと思い立った時の、絶対に外してはいけないたったひとつの基準がある。

 

それは、昔家庭教師をしてくれていた人の言葉で、今もずっと実践している基準。

 

「勉強を効果的に、効率的にやる秘訣は、できるだけ薄い参考書をやること!」

 

薄い本はその大体が「濃縮されたエッセンスだけで構成されている」ことがほとんど。

 

どうでもいい、余計なことは省かれている。

 

今でも僕は何かを学ぼうとするときは「薄い本」を購入する。

 

 

メリットはこうだ、

1.薄い本はすぐ終えることができる。だから何度も復習できる。

2.持ち運べて、どこででもそれを読める。

3.補足が不完全で、すべてを網羅していないからこそ、自分で考え、調べて探求できる。

 

そう。最も大切なのは3番。

薄い本はひとつの事象に対して詳しく書いてくれていない。そしてある時は学ぶべき項目自体をバッサリ切り落としている。

 

それを「デメリット」と捉える人がほとんどだと思うが、それは違う。

薄い本で何周も復習しているとある程度の基礎ができる。

だから「書かれていないこと」を調べる力が既に身に付いている。

 

書かれていないことを自分で調べて考えて答えを出して、それをその参考書に書き込んで足していく。

 

これはほとんどが網羅されている分厚い参考書よりもウンと効率的に、効果的に学べる最良の方法だ。

 

受験勉強、資格試験、仕事に必要な知識・・

すべて同じ。

 

この要領は今ずっとやってこれたし、これからもこの「極意」を続けていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

短時間睡眠のコツ

僕は寝ない。

本当に睡眠時間が少ない。

 

無理してそうしているのではなくて

一番楽なのが今のリズムなだけ。

 

だいたい寝るのは早くて3時。

普段は大体4時。

遅ければ朝の5時に寝る。

 

起きるのはいつも7時40分くらい。

 

これで充分。

 

でも短時間でぐっすり眠るためにひとつだけやっていることがある。

 

 

それは「長風呂」

 

毎日1時間は湯に浸かる。

ひどい時は2時間から3時間。

 

そしてあったかくして布団に入ってぐっすり眠る。

 

これで充分。

 

ちなみに最近知ったが

 

同じようなことをナポレオンもやってたらしい。

 

 

へえ。

 

 

なんだか納得。

 

 

 

 

「その資格は役に立たないよ」というウソ

社会人になってから勉強する人は多い。

 

特に資格勉強をする人はたくさん居て、

 

世の中には「資格ビジネス」というものもたくさんある。

 

そんな中、必ずこんなことを言う奴がいる。

 

「資格なんて取っても役に立たないよ」

「その資格は取っても就職に役立たないよ」

 

したり顔でそんなことを言う奴がいるから困る。

 

はっきり言う。

「どんな資格でも取っておいて損はない」と。

 

大切なのは、自分が培ってきた能力を「形」にすることだ。

 

事実としてそれをアウトプット化し、説得力を持たせるという意味で資格は絶対的な効力を発揮する。

 

実際、こんなことがあった。

 

 

僕は転職の合間、つまり休職中にMOSExcel Specialist の資格を取った。

 

Excelができる奴なら少し問題集をこなすだけで簡単に取れる資格だ。

 

もともとExcelは前職で覚えていた。

 

でもそれを形にすべきだと考え資格を取った。

 

そして、これが役立った。

 

特に転職してから大いに役立った。

 

転職して数ヶ月後、上司にこんなことを聞かれた。

 

AccessExcelはできるか?」

 

僕は「AccessはできませんがExcelはできます」と答えた。

 

上司は少し暗い表情で「そうか、Accessはできないのか・・」と言った。

 

だが、僕の次の一言で上司の表情が一変した。

 

AccessはできませんがExcelなら資格を持っています。」

 

「お!Excelの資格を持っているのか!」

 

 

一週間後、僕はデータを取り扱う役職になり出世した。

 

上司がその役職に対し僕に白羽の矢を立てたのだが、上司も周りにその承認を得なくてはいけない。

 

そんな時、今時誰でもできるExcelであっても、

それに対し「資格を持っている」という事実はかなり説得する材料になったようだった。

 

そして更には、その仕事についてからも資格勉強で覚えたことが大いに役立ち、実際の現場でも大きな効果をもたらしてくれた。

 

 

どんな資格でもいい。

 

今まで自分のやってきたことや興味のあることは、

 

次へのステップとしてのキャリアパスと考え、

 

資格を取っておくことをオススメする。

 

iqos吸ったら普通のタバコが吸えなくなるよ

最近、季節の変わり目だからだろうか。

咳が出始めて、何日過ぎても咳が治らない。

あまりにも咳が治らないので、

大好きなタバコをiqosに変えてみた。

 

3日ほどして、何となく普通のタバコに戻してみると・・

 

 

 

マズい不味い。

 

 

 

もう普通タバコが吸えない!!!

 

 

 

こんなにも不味かったっけ!?

 

 

何だかリアルにタールを吸ってる感じ。

 

 

モノを燃やしてその煙を吸ってる感じ。

 

 

気持ち悪いったらありゃしない。

 

 

もはや完全にiqos派になってしまった。

 

 

凄いもんやね、アイコス。

 

 

 

紙一重の努力

亡き父が生前何度も僕に語りかけてくれた言葉がある。

 

「紙一枚の厚さでいい。紙一枚分だけ、普段の自分より努力しろ。周りの奴らより努力しろ。」

 

「紙一重。紙一重の努力がいつしか塵も積もって、誰も超えられない大きな壁を超えられるようになる。」

 

「紙一重の努力がいつか未来で、自分を遥か遠くの高みに連れていってくれる」

 

父は僕が生まれて間もなく、家族を養うため、人生を変えるため、ヤンチャで怠惰だった若い頃に訣別し、心を入れ替え、人知れず努力を重ね、社会人として、大人として、一人の男として、そして父親として、真っ当で誰もが敬意を払う、仕事と人生を手に入れた。

 

僕は子供ながらにその姿を見てきた。

 

だから僕も父の言葉を胸に

 

「紙一重の努力」を積み重ねて今日も生きる。

 

 

ほんの5分、今日の仕事の振り返りを行なう。

 

一問でもいい。学びたい勉強の問題を解く。

 

少しでいいから身の回りを整理して明日を迎える。

 

ほんの少しだけでも家族のために家事を手伝う。

 

全て少しでいいから、「何もしなかった昨日の自分」とは訣別して一歩でいいから前に進む。

 

こうして毎日を踏みしめて前に進むことで、人は生きることを実感し、恵みを受け取り、他者へも恵みを分け与える人生に変わる。

 

不思議なもので、毎日の努力というのは、「ほんの少しだけ」と考えると行動に移しやすい。

 

そして、「ほんの少しだけ」と思ってやり始めたことも、すぐにはやめることなく結果としてしっかりと実のある努力をしようとする。

 

 

今日も一日、後悔のない「やり切った今日」を生き抜くことで、新鮮な明日がやってくる。

 

何もやらなかった「今日」を過ごしても新しい「明日」は来ない。決して来ない。

 

 

今日も一日、「紙一重の努力」をして、新鮮で新しい世界の待つ「明日」を僕は迎える。

 

 

 

 

 

手を挙げて「やります」が本当の提案力

提案力という言葉がよく持て囃される

 

しかし提案すればそれで良いと考えるビジネスマンも少なくないのではないだろうか

 

「提案」と「提案力」は違う

 

 

「提案力」とは手を挙げて「やります」と宣言し

仕事を手元に寄せるところまでと解釈していいのでは、と考えるべきだと思う。